ヨルダン・パレスチナ難民キャンプとの交流企画

2005年7月末に難民キャンプに協力依頼に行ったときの報告です。

<難民キャンプの風景>

訪問した難民キャンプはヨルダンの首都アンマンの西にあるバッカキャンプ。
2×3kmの土地に約10万人のパレスチナ難民が暮らす、
ヨルダンで一番大きい難民キャンプです。

パレスチナを追われた難民の人達がここへやってきたのは第三次中東戦争の有った1968年ですから、37年も前のことです。

日本語の難民キャンプという言葉からは非常用のテントがたくさんある風景を想像しますが、普通の建物でいっぱいで、街になっています。難民生活が始められた初期の頃はここもテント生活だったそうです。

アンマンの中心地がどこも坂道の連続であるのに対して、バッカキャンプは平らです。

 

町並みのきれいさはアンマンの中心地よりもツーランク下と言う感じがします。十分に整備が進んでいません。

アンマンの町から移動すると、その雰囲気の違いからまるで別の国に来たかのような錯覚にとらわれました。

中心地の市場のにぎやかな所です。強い日差しをよけるために張られた布がいい雰囲気を出していて、散歩してみたくなります。

 

<ウイミンズユニオン>

ウイミンズユニオンの入り口です。

ウイミンユニオンは、女性と子供への教育や生活支援等に取り組む組織です。
・女性と子どもへの教育
・不登校児に教育を行い、学校へ戻す
・女性の人権について教える
・離婚家族のサポート
・暴力被害者の救済
・仕事の斡旋
等を行っているそうです。ここで働いている人はボランティアの女性達です。

逃げてきた人達によってキャンプが形成された当時の 写真を見せてもらったり、難民キャンプ内の手工芸品をピースバードで 購入して日本で販売する事が可能かどうかを検討するため、工芸品の サンプルを見せてもらいました。

 

<ソーシャルクラブ>

ソーシャルクラブは、バッカキャンプの中心的自治組織です。
1974年テントキャンプだった時から活動を開始し、80年代の終わりごろに キャンプ中心地に有る現在のビルを建設したそうです。 孤児の保護やスポーツ振興なども行っているということです。

これはその入り口の写真で、町の中心の商店街を通り抜けていった所にありました。

左から2人めの人がソーシャルクラブの人で、右から2人めがピースバードの河上です。

うしろにずらりと並ぶたくさんのトロフィーはキャンプ所属のスポーツチームが獲得したものだそうです。

8月20〜25日には A Week for Plestine というイベントも開く そうです。このイベントは 故郷パレスチナへ帰国する権利についての啓蒙活動・思いを強く結束する ために行っているものです。具体的にはパレスチナの政治家が 来て公演を行ったり、絵画や写真の展示会を行ったりするそうです。
この展示の中から、私達が鳥取で展示するのに適したものがあれば 提供してもらえないかと話を持ちかけました。その時には展示物が まだ届いていなかったので、後日見せてもらえることになっています。

スポーツ振興がどのように行われているかを、体育館やボクシング練習室 等をまわりながら見せてもらいました。バレーボール・サッカー・ ボクシング・テニスなど。強いチームも持っており、また、選手として サラリーをもらっている人だけでも400人位も居るそうです。スポーツの設備は十分とはいえません。ボクシング場は広さのわりに人数が多くすごく狭苦しい中でのトレーニングになっているそうですし、体育館も風邪通しが悪く、床も石タイル張りで粗末なものです。

 

<お宅にお邪魔>

帰る前に案内をしてくださった方のお宅にお邪魔しました。

既に絵画集めの作業を開始してくださっていて、数枚の作品のサンプルが届いていました。